最近続いている上の子の話ですが、今日の朝は学校への道のりの4分の1くらいの距離までは私も一緒に行ったものの、信号機を一人で渡って、そのまま学校へ向かっていきました。
まだ一人で家を出ては行けなかったけれど、昨日よりも足取りは軽く、普通にまっすぐ歩いていました。
気持ちが学校に向いてきたということかな。
関連記事⇒『不登校のなりかけと、“親離れ・子離れ”。今後状況はどう変わるかな・・・』
ただちょっと気になるのは、ひとつ忘れ物をして行ったこと(^^;)
忘れ物に気づいて戻ってくるということはしませんでしたが、せっかく学校に向いた気持ちがこの失敗でそがれてしまったら残念だなあ。
一時間目で使うものなので、その後の授業で気持ちも挽回していればいいけれど・・・
ところでこの5月、上の子が学校に気持ちが向かず足取りが重くて、何度か遅刻して行きました。
正直、「車があったら簡単に連れて行けるのに」とも思ったりしました。
(とりあえず学校に行かせさえすれば、一応最後まで授業を受けて帰って来ていたので、学校に行きさえすれば・・・みたいに考えちゃっているところがありました。)
でも車がないので、自分の足で歩いて行ってもらわなければなりません。
自分の足で歩くには、気持ちが向かわなくてはなりませんよね。そしてこの“気持ちが向く”というのが重要なんですよね。
物理的に、身体だけ無理やり連れて行ってもダメだったんだよなあ。きっと今回のケースは。
さて、前に住んでいたところでは、ほとんど車の生活となっていた私ですので、一日にたくさん歩くことがあまりありませんでした。
なので、今回の件があったことで、連日学校までの道のりを歩き、帰りは坂道を登って、時には往復。ちょっと遠い病院から歩いて帰ったり・・・と、歩くことがかなり増えました。
(買い物等の生活のために自転車は買いましたが、学校に行く時には自転車より一緒に歩く方がいいと思って。)
初めは筋肉痛になり、歩くのも大変~(><)と思ったんですが、歩くことで気づくことも色々ありました(^^)
季節の変化、たくさんの草花、虫の動き、風の強さ、雲の流れ、遠くの景色、踏切の音、川の音・・・
私が生まれてから小学3年まで住んでいたところも、緑の多いところで、虫も花もあったし、川が近かったので水の流れる音が聞こえたし、踏切の音も少し聞こえてくるようなところでした。
上の子を送って家に向かう途中、フッと、感覚があの頃に戻ったようになり、何だかとても懐かしい気分になった瞬間がありました。
家々の庭や道端にも、かわいらしいお花がたくさん咲いていて、お花に応援してもらっているような気持ちにもなりました。
まだ上の子の件では油断できない状況かもしれませんが・・・、「歩く生活もいいかもしれないなあ。」なんて思ったできごとでした(^^)
悪いと思ったことでも、視点を変えればメリットにもなるかも。
広い視野を持って、気持ちに余裕をもってものごとを考え、対処して行けたらいいな~。なんてことを思いました^^